2015年04月07日
桑田ランド ②
なんて衝撃的だったんだろう 。。。
" ザ ベストテン " スポットライトで あの男を見た日 。。。
そう 桑田 佳祐を はじめてみた小学生だった僕は
すぐさま ホウキをギターにして
巻き舌で 「今何時?」 「そうね、だいたいね~」 真似を 。。
そこから 僕の心の中の 桑田 佳祐がはじまった 。。。。
サザンオールスターズは小学生の頃に、
テレビによく出ていて、学校の友達の間でも次第に評判になっていった。
とにかくランニングシャツ姿で
これまでに聴いたことがないようなお祭り感覚の音楽を奏でるこのバンドが、とても見ていて楽しかった。
「ドリフ大爆笑」で志村けんと沢田研二によるコントがあり、
それは志村けんが沢田研二の付き人を演じるというものだった。
付き人に扮した志村けんは 、
沢田研二の今度の新曲は「勝手にシンドバット」という曲だということを告げる。
「勝手にしやがれ」と ピンク・レディーの「渚のシンドバット」を混ぜたものだが、
コントでもこの二曲を繋ぎ合せたものが流れていた。
この時、 サザンオールスターズはまだデビューしていない 。。。
今までに聴いたことがないようなお祭り感覚の音楽をランニングシャツ姿で歌う集団、
しかも歌詞が 「今何時?」「そうね、だいたいね」などと、 シュール それが良かった。
そのうちにジワジワと売れていって、いつの間にか「ザ・ベストテン」に普通に出ていた。
次のシングルの「気分しだいで責めないで」は
同様の路線だったが、やはりパワーダウンは否めなかった。
そして 僕は あまり好きでない いとしのエリー 。。。
「ザ・ベストテン」の第1位にまで上りつめ、その順位を7週間にわたってキープし続けた。
桑田本人も この曲はあまり好きではなく 多くは語っていない 。
その後の「思い過ごしも恋のうち」「C調言葉に御用心」もベスト10に入り、
日清焼そばUFOにCMにも出演するなど、すっかりお茶の間の人気者である。
しかし、このタイミングでテレビなどのメディア露出を断ち、音楽制作に集中するという決断をする。
その期間は毎月シングルを出し続けたが、セールスは芳しいものではなかった。
それから、アルバムは売れるもののシングルはヒットしないという状態になる。
そして迎えた1982年1月、今度はあえて久々のシングルでのヒットを狙いに行った。
サウンドは当時リバイバルのムードが高まっていたグループ・サウンズ、
歌い方は当時の人気アイドルであった田原俊彦のパロディーという
「チャコの海岸物語」を発表 拡声器からでる声の様な技法で 。
これが見事に「ザ・ベストテン」で第1位に輝いた。
桑田佳祐と原由子の結婚という話題もあり、お茶の間にサザンが帰って来たという印象であった。
次のシングル「匂艶 THE NIGHT CLUB」も続けてベスト10入り、
アルバム「NUDE MAN」も大ヒットし、シングル、アルバム共に人気が確立した年になった。
そして、この年に発表されたアルバム 「綺麗」
そんなノリにノッたバンドが北海道でRCサクセションと一緒のイベントに出演する 。。。
RCサクセションの清志郎とチャボはサザンオールスターズに対して、
歴史が違う、あんなフォーク・バンドぶっ潰してやる、電源抜いておいてやる、などとさんざん毒づいていた。
そん時の 星降る夜のHARLOT
この曲 何百回いやもっと カセットテープや
レコード CD で 聴いた方ならわかって頂けるとおもうが
そん時のが これ ヤバい !! ( ヘッドホンで聴いてください )
曲のはじめの 桑田の バストー ベイイイェ~~ 。
この一言で すべて ブルース 、、 HIP 、、 ROCK もっていってしまった 。。。
桑田が 最高にのっていて
色っぽい 艶っぽいブルース声 が 最高だった時の声 。。。
まだまだ つづきます。。。。
Posted by SideWalkTalk at 11:29│Comments(0)
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